COLUMNコラム
日本社会は変化したのか、変化するのか
2025.7.31
1.始めに
日本社会を表す言葉としてよく「失われた30年」(1990年~2020年を指す言葉)といわれるが、当該30年の評価は人によって異なる。
例えば、「30年間経済成長をしていない」という風にネガティブに捉える人がおり、実際に日本の実質GDP成長率は1%未満といわれる(※1)。
その反面、「株価が順調である以上、経済成長は順調にいっている」と捉える人もおり、現実に日経平均は2025年で4万円台であり、2009年の1万円台と比較すると飛躍的に上昇している(但し1989年は3.9万円台であった(※2))。
結局のところ、この問題は、社会環境は急激には変わらず、徐々に変化することが多いため、どの個々の変化に着目するかの問題であるともいえる。
2.株式市場の変化
例えば、敵対的買収はかつて消極的に捉えられてきたが(例えば北越製紙に王子製紙がTOBを行ったのは2006年のこと)、SBIによる新生銀行買収(2021年)や企業買収における行動指針の発表(2023年)等を経て、「同意なき買収」という言葉はある意味市民権を得ている状況にある(日経新聞によると経営者の4割が選択肢に挙げているとのことである(※3))。
これは政策的に同意なき買収を意識したこと、コーポレートガバナンス・コードが策定されたこと、株主構成が変化したこと等により株式市場が活性化したものと考えられる。
例えば、2024年度株式分布状況調査の調査結果を見ると、かつてはリレーション維持目的で株式を保有する企業が多かったと考えられるが、2024年現在の株主構造は明らかに変化している(都銀地銀の保有率は1970年の15.8%から1.8%に、生保の保有率は10%から2.7%に減少したのに対し、外国法人等保有率は4.9%から32.4%に増加している(※4))。このように持合株の減少等は、外国人投資家に安心感を与えるが、実際にはそれのみではなく、日本企業の割安感や円安ドル高等の状況も関係しているものと考えられる(他方で近時は、経済安全保障の問題もクローズアップされ、経済安保を理由とした買収防衛の是非も議論されており(※5)、株式市場に影響を与える可能性も否定出来ない)。
3.ダイバーシティ・インクルージョン(D&I)の変化
このような状況の中でD&Iも重要な意味を持ってくる。米国の政情を踏まえると、D&Iの重要性は減少するのではないかという意見もあるが、必ずしもそう単純ではない(※6)。
周知のとおり今日は、女性の社外役員比率を向上する事が重要な課題でもあり(※7)、興味深いことに、女性推進の施策は保守派に近いとされる安倍政権によって推進されてきた実情も存在する(※8)。
そもそも多様性がクローズアップされたのは、価値観の多様化に加え、機関投資家(海外を含む)の評価目線(※9)、人口構造の変化等も背景に存在する。少子高齢化は必然的に女性や高齢者の労働力・消費力の影響を受け、ITの発達は購買層へのチャンネルにも影響する。
現に日本の人口は現在、1.2億人であるが、2070年には0.9億人を割り込み、高齢化率は39%の水準になると推計されている(※10)。また専業主婦世帯は1985年の936万世帯から2021年は458万世帯、共稼ぎ世帯は689万世帯から1177万世帯に変化している(※11)。
4.今後の変化の可能性
最後に今後変化が起きうる環境の1つとして、情報社会やAIが社会に与える影響について補足する。
第一に、我々が肌で感じているようにデータ流通量の増加は(※12)、データの取扱いにも影響を与えるし、社会への変化も生じさせる。そのような社会の変化はイノベーションを生み、更なる投資を招く事が期待される(※13)。
かかるデータの利用量の増加に応じて、(当初日本では普及率が低かったものの、コロナ禍も影響して(※14))キャッシュレス社会も進行し(2010年に13.2%だった比率は2024年に42.8%に向上している)(※15)、その利便性は我々が感じているとおりである。他方で、同社会が促進すると犯罪行為に関する行動原理も変容するとの見解も存在する(※16)。また、このような変容はキャッシュレスに限らず、刑事捜査手法が変化することで社会に影響を与える可能性がある点にも留意する必要がある(※17)。
第二に、AIによる分析は多量のデータを効率よく解析し、企業の業績を改善させる(具体的には効率化・機械化、データ分析、生産管理、与信管理、労働時間管理、リスク算定から投資対応、顧客対応、デザイン作成まで幅広く利用されることが想定され、実施されている)。そのような改善行動は当然ながらライバル企業においても採用されるため、当該企業との競争を勝ち抜くには、如何に適切にAIによる分析を運用するか(※18)、且つ企業文化と融合させるかが、ポイントになるとされる(※19)(もっとも統計によると①日本企業ではAIの利用が他国に比べ遅れていること、②効果的に活用出来ている企業とそうでない企業に二極化していること、が伺える点に注意が必要である)。これに加え、AIは言語的又は文化的障壁を乗り越え、幅広い顧客層を取り込む結果、新たなブランド価値の創造を実現していく可能性があり、これらの点は社会にプラスの変化といえる。
これに対して、AIはアルゴリズムのブラックボックス化や偏見(バイアス)の助長という問題に加え(※20)、人が考える能力を減少させる側面も有する(※21)。
しかしながら、実務的には、AIの利用を断念することは困難であり、またAIを使った競争から降りることも困難であると考えられる(※22)し、米国でもトランプ政権はAIの推進を着実に進めていく意向である(※23)。
そのような状況の中で、(AIの利用と併存して)人間性や宗教の意義を見直そうとする動きも存在するが 、そのような動きのサポートを得つつ、如何に適切にAIを活用出来るかが「今後の変化」という意味では重要かと思われる。
■1 詳細は、内閣府 経済社会総合研究所「国民経済計算(GDP統計)」https://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/menu.html参照のこと。
■2 詳細は、日本経済新聞社「日経平均株価70年 日本経済の動き刻む」https://www.nikkei.co.jp/nikkeiinfo/about/ourhistory/archives/nikkeiheikin.html及び、世界経済のネタ帳「日経平均株価の推移」https://ecodb.net/stock/nikkei.html参照のこと。
■3 詳細は、日本経済新聞「「同意なき買収」 4割が「M&Aの選択肢」社長100人アンケート」(2025年7月4日)https://www.nikkei.com/article/DGKKZO89796340T00C25A7TB2000/参照のこと。
■4 詳細は、株式会社東京証券取引所他「2024年度株式分布状況調査の調査結果について」(2025年7月4日)j-bunpu2024.pdf参照のこと。
■5 例えば、松本萌「日本製鉄、USスチール買収後の難路 「黄金株」の影響が焦点に」日経ビジネス電子版(2025年6月17日)https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00155/061700246/参照のこと。https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00155/061700246/参照のこと。
■6 例えば、石塚由紀夫「米国発、反DEIの流れ 日本企業は推進ためらう猶予なし」日本経済新聞(2025年1月31日)https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD283VU0Y5A120C2000000/参照のこと。
■7 例えば藤野大輝、大和敦「女性役員比率の現状と今後の課題」大和総研(2024年10月18日)https://www.dir.co.jp/report/research/capital-mkt/esg/20241018_024677.pdf参照のこと。
■8 詳細は、アジア・パシフィック・イニシアティブ『検証 安倍政権 保守とリアリズムの政治』文藝春秋(2022年1月20日)参照のこと。
■9 例えば、内閣府「機関投資家が評価する企業の女性活躍推進と情報開示」(2018年)https://www.gender.go.jp/policy/mieruka/company/pdf/30esg_research_01.pdf参照のこと。
■10 例えば、厚生労働省「我が国の人口について」https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_21481.html参照のこと。
■11 詳細は、厚生労働省「図表1-1-3 共働き等世帯数の推移と第一子出産前後の妻の就業変化」令和6年版厚生労働白書https://www.mhlw.go.jp/stf/wp/hakusyo/kousei/23/backdata/01-01-01-03.html参照のこと。
■12 世界のモバイルデータトラヒック量(デバイスが無線通信経由で送受信するデータ量)は2020年の46.6エクサバイト/月から2028年に314.8エクサバイト/月に到達すると予測される(総務省「第1部 特集 新時代に求められる強靱・健全なデータ流通社会の実現に向けて 第2章 データの流通・活用の現状と課題」令和5年版情報通信白書https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/r05/pdf/n2100000.pdf参照のこと)。
■13 全体的な状況については、例えば、野村敦子(野村総研)「データがもたらす経済・社会の変革─データドリブン社会を目指す先行事例から得られる示唆と課題─」JRIレビュー(2019 Vol.9, No.70)https://www.jri.co.jp/MediaLibrary/file/report/jrireview/pdf/10767.pdf参照のこと。
■14 コロナ禍においてはV字回復ではなく、K字回復が議論されたことが記憶に新しい。
■15 経済産業省「2024年のキャッシュレス決済比率を算出しました」(2025年3月31日)https://www.meti.go.jp/press/2024/03/20250331005/20250331005.html参照のこと。
■16 川野祐司「キャッシュレスがもたらすデジタル社会」国民生活研究第61巻第2号(2021年12月)においては、「自分の行為が表面化しないと思うことが犯罪につながりやすいことから、あらゆる行動がデジタル化されれば犯罪も激減する」と予言されている。
■17 詳しくは、守山正「犯罪予防に焦点を当てたAI活用による刑事司法制度の将来」https://www.moj.go.jp/content/001399599.pdf及び稻谷龍彦「デジタル刑事司法は「刑事司法」か?」法律時報94巻3号(2022年3月)参照のこと。前者はAI等を利用した犯罪予測について言及し、後者は今後の刑事司法がアルゴリズムの設計やデータサイエンスに主戦場が移ると(権力に対する)民主的統制に影響を及ぼすことについて言及している。
■18 AIと経営判断原則の関係については、中村直人「生成AIの普及と経営判断手続の見直し」NBL1245号(2023年7月1日)参照のこと。
■19 AI利用実態調査については例えばPwC Japan「生成AIに関する実態調査 2025春 5カ国比較」(2025年6月23日)https://www.pwc.com/jp/ja/knowledge/thoughtleadership/generative-ai-survey2025.html参照のこと。
■20 詳細は、Natasha Ghoneim「アングル:白人男性多数のテック業界、AIに「無意識の偏見」浸透も」ロイター(2025年7月13日)https://jp.reuters.com/markets/global-markets/FGAQWVYSPVMZPAHRML22BKXKQM-2025-07-12/参照のこと。無意識の偏見というテーマは昔から語られていたが、同記事は実際の人種統計及び近時の米国におけるD&Iの実情を踏まえている。またジェームズ・ムーア(ダートマス大学哲学科教授)「コンピュータ倫理学とは何か」http://www.ethics.bun.kyoto-u.ac.jp/fine/tr2/moor.htmlでは、倫理的な重要性を持つ事項として、①不可視性の悪用、②不可視的な価値観の存在(バイアス)、③不可視的な複雑な計算(ブラックボックス化)が挙げられている。
■21 例えば、ブルームバーグ「「AIを使う人の批判的思考能力が低下している」マイクロソフトが調査論文を発表」東洋経済オンライン(2025年2月18日)https://toyokeizai.net/articles/-/859462?display=b参照のこと。
■22 AIを利用することを選択すると業務の効率化が図れ、その成果を企業が享受出来るようになる。しかしながら、他社がAIを利用する以上は、企業としてAIを利用せざるを得ない。なぜならば、利用しない企業は市場から淘汰される可能性があるからである。また利用する企業内においても、適切に利用出来ない従業員はリストラされる可能性がある以上、従業員はAIを効率的に使えるよう研鑽を積むことが求められる。このような結果は産業革命を経ても人間の仕事時間が減らなかったことと同じなのかもしれない。
■23 詳しくは、ロイター「米、AI政策計画発表 規制緩和や同盟国への輸出拡大へ」(2025年7月24日)https://jp.reuters.com/world/us/PGXGHR6G5BIFRB3WCV6NZ3PCPI-2025-07-23/参照のこと。